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井村一登 展「mirrorrim」
会期:2021年6月1日(火)〜6月7日(月)
会場:MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY
鏡は水面や黒曜石、金属の研磨、ガラスへの金属の付着など、歴史の中で素材や技法が多様化し、現在では構造自体も様々なものが存在している。
また物体としての変化と同時に、人類と鏡の関係性も祭祀での神具、日常的な化粧用具、製品や高度な研究に使用される光学装置と変わり続けてきた。
「鏡に映る」ということは、神秘的な現象から科学へと移行したように思える。
精神分析家ジャック・ラカンの理論である鏡像段階論によれば、鏡に映した自身の像、または他者を見ることで身体は一体であることを知ることは自己認識の入り口であるという。
自身という存在のみではそれは得ることができず、像や他者との比較から身体的統一性を獲得する。
客観的に、あるいは俯瞰で考察するという行為も、脳内に自身の像を映し、他者と比較することで可能になる。
ルッキズムや人を動かす負の感情は常に比較、つまり相対性によって生じる。
私は、鏡を構成する素材と技法を研究し、それを独自に変化させ、自身が映らない鏡を制作している。一時的に比較を放棄させ、自身を絶対的だと認識する装置。
展覧会タイトルは「mirror (鏡)」と「rim (縁)」を組み合わせた造語であり、 本展「mirrorrim」は鏡に縁取られた人と像の展示である。
写真:Kenryou Gu