村山悟郎 × 井村一登 <重複するイメージ>
会期:2022年5月20日(金)〜6月12日(日)
会場:アートフロントギャラリー
https://artfrontgallery.com/exhibition/archive/2022_03/4557.html

重複するイメージ展によせて—

自分の姿を自分で直接見ることはできない。
それを見ることができるのはつねに他者であり、他者が見ているものを見ることはできない。

鏡は、古くは水鏡のように、自己を認識することを可能にした装置である。
はじめて鏡に映った自分の顔が自分であると認識した時の記憶はすでにないが、いつしかそれが自分の顔であること(自分の顔がだいたいどのようなものであるか)は学習され、記憶にインプットされてきたのだ。

とはいえ、その記憶と自身の変化との間にギャップが生じれば、またはじめて鏡を見た時のような気持ちが蘇る。
鏡とは、そうした自己再認識のフィードバック・システムなのだと思う。
合わせ鏡の中にループするイメージが、どこまでも行き着くことのない底へと、現在との微細な時間の差異を持ちながら無限に反復していくように。 

鏡の前には、つねに鏡像としての対象が映し出されていた。
鏡そのものを描くことは、鏡に映った像を描くことと同義でもあるように、それは光を反射する厚みのない表面である。
しかし、映される対象を欠いた鏡とは一体なんだろう。鏡は機能としての名称であり、物質としての名称とはとらえられていないのではないか。

井村一登が鏡の素材であったガラスと金属を用いて制作した、その複合体となった塊状の鏡である《mirror in the rough》は、材質としては鏡だが、その中で光は乱反射し、対象を映しだすことはない。
鏡に映ったイメージが厚みを持たない、しかし、その塊の中に奥行きのない空間を孕んだものであるのにたいして、井村の作品はその中に光と空間を封じ込めたオブジェのようだ。 

自身を映さない鏡は、近年、ヴィデオ・チャットで自分の顔を見るのに慣れた(見飽きた)私たちに、いまいちど鏡というものがなんであるのか、その魅力を感じさせる。
ハーフミラーと自作した鏡によって作られる《wall-ordered》のシリーズでは、合わせ鏡の閉じられた空間の中で、イメージが反復しながらある秩序が生み出されていく。

額というよりは、やや奥行きの深い箱状の作品は、映す対象を持たず、鏡が鏡を映し出している。その内部に幾何学的な法則を発生させ、小宇宙のようなヴァーチュアルな空間が生成される。
そこで視線は《mirror in the rough》と同様に、その間に重層化する空間の深い闇の中に沈んでいく。

畠中実 (NTT インターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員)

写真| Hiroshi Noguchi by courtesy of Art Front Gallery

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